出力

「出力がない。」

かれこれもう6年前ぐらいになるのか。

ずっと気になってきた。

走るフォームのことなんて、考えれば考えるほど下手になる。

常套句だ。

それでも考えて走るのがランナーなんだと思う。

走ってない時にあれこれと考えるのがメインだけど、ジョグの時にもあれこれやりながら走ったりする。

無論、速く走る時には一点だけしか考えて走れないから、ブラッシュアップして必要なものだけに集中する。

いくら速く走ろうとしても走れない日がずっと続いていた。

そればかりか、どのシューズを履いても殆ど変わらず同じ状況が続いていた。

ただ心肺だけが苦しくなる。筋力は残ってるのにそれ以上は難しい状況なのだ。

唐突に昔言われた事を思い出した。

「出力がない」である。

プレートの入ってるシューズでもプレートの入ってないシューズでも同じである。

その理由は何だろう?

とふと思ったのだ。

ひとつの表現が人によっては、解釈がまるで変わってくる。

だから同じことを同じようにやっても同じにならないのだろう。

そこには意識とか意志とかそう言ったものが、関わってくるからなのかも知れない。

意識したらいけないものを、意識したら悪い方へ向かう感じ。

それが自分には「接地時間を短くする」とか「脚が流れる」という表現だった。

キプチョゲの動画を観てたときに、ふと思ったのが、脚が流れてないか?である。

その時に、キプチョゲの脚が流れているのか?脚が流れているという表現が、自分が考えていたものとは違うものなのか?

それなら、接地時間を短くするも、自分の考えていたことと根本的に違うんじゃないか?

イメージと現実のギャップみたいな感じ。

陸上競技場のトラック1周400mである。

1周96秒を切るのができなくなっていた。

どんなに頑張っても。

年齢なのか5年走らなかったブランクからなのか…

という理由付けをしてたけど、どうやら違ったのかも知れない。

4月に入ってから、唐突に意識が変わった。

股関節から脚がある感じ。

胸から脚が生えているイメージ。

ゴムのように伸び縮みする感じ。

脚を落とすのだけ集中すれば良い感じ。

動画とかで色んな人が言っていることが、繋がる感じ。

トラック1周80秒〜85秒も難なくこなせるようになった。

接地時間を短くすることばかり考えていたときは、脚元で走っていたんだと理解できた気がする。

膝に意識が向いていたり、足首に意識が向いていたり。

多分癖なんだと思う。

接地時間を短くしようとする意識が、逆にブレーキをかけながら走っていたのかも知れない。

前に進むというイメージ自体が現実とギャップがあるのかも知れない。

疲れたり、崩れたりするときにその癖がでて、出力がなくなる。

これが正解かどうかは分からないけど、何かが変わりそうな感じだ。

奇しくも富士五湖100kの直前に変わったのは意味がある気がする。

昔、富士五湖で快走できた時と同じだ。

今回ではないけど、次回に繋がる。

そんな感覚。

追記

御神籤からの助言はこうだ。

条件は整っているが、心がついてきてない。

真面目に頑張れば必ず良い事がある。

個人的には、心がついてきていて、準備ができていないと思っていた。

2023年。さぁ、どうなるか。